日蓮正宗 昭倫寺

日如上人御言葉 二月度広布唱題会


二月度 広布唱題会の砌 (平成29年2月5日)

 平成29年2月5日 於 総本山客殿

本日は、二月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。

既に皆様も御承知の通り、今月は宗祖日蓮大聖人御誕生の月であります。

大聖人様は、貞応(じょうおう)元年(一二二二年)二月十六日、かねて法華経において予証せられた通り、外用(げゆう)上行菩薩、内証久遠元初自受用身の御本仏として末法に御出現あそばされました。
その目的は、本因下種の妙法蓮華経をもって、末法の一切衆生をことごとく仏道に入らしめ、即身成仏せしめるためであります。

されば『寂日房御書』には、
「経に云はく『日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く、斯(こ)の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す』と此(こ)の文の心よくよく案じさせ給へ。『斯人行世間(しにんぎょうせけん)』の五つの文字は上行菩薩末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさ(指)しい(出)だして、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり」(御書 一三九三頁)
と仰せられているのであります。

この御本仏日蓮大聖人様の一切衆生救済の願業(がんごう)を正しく承継して、一天四海本因妙広宣流布達成を目指し、異体同心して破邪顕正の折伏を行じていくところに、今日(こんにち)、我ら本宗僧俗の最も大事な使命が存しているのであります。

故に『曽谷殿御返事』には、
「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間(むけん)地獄は疑ひなかるべし」(同 一〇四〇頁)
と仰せられ、謗法の者を見ておいて、そのままにして折伏をしない者は「師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし」と厳しく御制誡あそばされているのであります。

よって、一人ひとりがいかなる困難や障魔が競い起きようとも、
「末法に於て今日蓮等の類(たぐい)の修行は、妙法蓮華経を修行するに難来たるを以(もっ)て安楽と意得(こころう)べきなり」(同 一七六二頁)
との御金言を胸に、今こそ敢然(かんぜん)として折伏を行じ、誓願達成へ向かって僧俗一致・異体同心して前進することが肝要であります。

特に、今や創価学会をはじめ、邪義邪宗の謗法の害毒によって多くの人達が塗炭(とたん)の苦しみに喘(あえ)いでいます。

私どもは、かくの如き、多くの人を誑(たぶら)かして正しい信仰から切り離す、無慚(むざん)極まる悪業に対して、決然として彼らの誤りを糾(ただ)し、迷える多くの人々を救済していかなければなりません。

と同時に、本年は「折伏育成の年」であります。

折伏をしたら、その折伏をされた人が一人前の信徒として、信行ができるようにしていかなければなりません。
その責任は講中にあり、また折伏した人にあります。

折伏をしてそのままにしておくことは、あたかも赤ん坊を産んでそのままにするようなものであり、これほど無慈悲なことはありません。
また、育成をおろそかにするようなことがあれば、まことにもって、その人に対しても、また自分自身に対しても無責任極まる行動となってしまいます。

したがって、育成については、折伏した人はもちろん、講中全体が全力を傾注して、折伏された人が、勤行をはじめ御講の参詣、総本山への登山、そして折伏ができるように育成をしていかなければならないのであります。
このことが「折伏育成の年」の大事な意義であります。

どうぞ、皆様にはこのことをしっかりと心肝に染めて、御本仏大聖人の御意(ぎょい)のままに、一切衆生救済の崇高なる使命をもって、妙法広布と育成に励み、もって来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向けて、いよいよ御精進されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。


(大白法・平成29年2月16日号より抜粋)

(平成29年4月掲載)