日蓮正宗 昭倫寺

日如上人御言葉 平成三十年 法華講講頭会の砌


平成三十年 法華講講頭会の砌

 平成30年3月24日 於 総本山大書院

中国の故事に「愚公(ぐこう)、山を移す」という話があります。

この話は、昔、中国において愚公という老人がいて、年齢は九十歳近くでしたが、山が邪魔して出掛けるたびごとに遠回りをしなければならないので、家族を集めて「私はおまえ達と力を合わせて、あの険しい山を平らにして楽に行けるようにしたいと思うが、どうだろうか」と言いました。
彼の家族は口々に賛成しましたが、ただ一人、愚公の奥さんだけが反対しました。
しかし、皆は愚公の話に賛同して、この難工事に取り組むことになったのです。

かくして愚公は息子や孫達を引き連れ、岩石を砕き、土を掘り返し、難工事に取りかかったのであります。

黄河(こうが)のほとりに住む智叟(ちそう)という老人は、この様子を見て笑い、愚公に忠告しました。
「あんたの馬鹿(ばか)さ加減といったら話にならない。老い先短いあんたの力では、この山の一角だって切り崩せないだろう」と。
すると、愚公は「私が死んでも子供は生き残り、その子供は孫を生み、孫はさらに子供を生んで、子々孫々、絶えることはない。一方、山は増えるわけではない。だとすれば、いつか平らになるだろう。」と。

智叟は、この愚公の話を聞いて返す言葉もありませんでした。
この様子を見て、山の神は天帝に報告しました。
天帝は愚公の真心(まごころ)に感心し、力持ちの神に命じて大きくはだかっていた山をそれぞれ別の場所に移してやったので、それ以来、周囲には小高い丘さえなくなったという話であります。

この話は、何事も根気よく努力をしていけば、大きな事業も必ず成就することができるという話であります。

まさしく折伏も同じでありまして、諦めず根気よく続けていくことが肝要であって、「為(な)せば成る」との精神で、途中で絶対に諦(あきら)めないことが大事であります。

とかく、相手が思うように言うことを聞かないと一方的に断念して、折伏を途中で諦めてしまいがちであります。
仮りに、そのようなことがあるとすれば、それはまさしく無慈悲の至りであります。

相手がかたくなに反対しても、そのあと相手の心境が変わって入信に至ることはよくある話であり、折伏の縁を断ち切るのではなくして、根気よく折伏を続けていくことが大事であります。

そして、それは一人ではなく、講中全員で折伏をしていくのです。
百人の講中があれば、百人の力で折伏をしていくのです。
まさに、このことを異体同心と言うのではないでしょうか。
一人だけが、せっせ、せっせとやるのではなく、みんながそれぞれの分々に応じて折伏をしていく、このようなことが今、最も大事であろうと思います。

つまり、下種折伏した私達のひとこと、ひとことが、必ず相手の耳朶(じだ)に残って入信に至るわけでありますから、何しろ途中で折伏を断念しない、そして講中こぞって折伏に参加するのです。
この思想を徹底的に講中に広めることが大事です。

(大白法・平成30年4月1日号より抜粋)

(平成30年6月掲載)