日蓮正宗 昭倫寺

日如上人御言葉 教徳寺移転新築・寺号公称板御本尊入仏法要の砌


教徳寺移転新築・寺号公称板御本尊入仏法要の砌


大聖人様は『生死一大事血脈(けちみゃく)抄』に、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(じたひし)の心なく、 水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処( ところ)を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然(しか)も今日蓮が弘通する処の所詮是(これ)なり。若(も)し然らば広宣流布の大願も叶(かな)ふべき者か。剰(あまつさ)え日蓮が弟子の中に異体異心の者之(これ)有れば、 例せば城者として城を破るが如し」(御書五一四頁)
と仰せられ、 広布の戦いにおいて異体同心の団結がいかに大事であり、 必要不可欠であるかを御教示あそばされているのであります。

したがって、また中国の故事のなかにも「天の時は地の利に如(し)かず。地の利は人の和に如かず」という言葉があります。
つまり、事をなすに当たって最も大事なことは、 天の時よりも地の利よりも、人の和、 すなわり異体同心の団結が大事であると言っているのであります。

反対に、一人ひとりの心がバラバラでは何事もかなわないことを、 大聖人様は「弁殿御消息」のなかで、
「しかるをなづき(脳髄)くだ(砕)きていの(祈)るに、 いままでしるし(験)のなきは、 この中のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ」(御書九九八頁)
と仰せであります。

「なづき」つまり、脳髄を砕くほどに祈りに祈っても、その験(しるし)が顕れないのは、そのなかに「心のひるがへる人」 すなわち、 異体異心の者がいるからであると仰せられているのであります。
まさしく『異体同心事』に、
「異体同心なれば万事を成(じょう)じ、 同体異心なれば諸事叶ふ事なし」(御書一三八九頁)
と仰せのように、この異体同心の団結こそ、 勝利の鍵なのであります。
ただし、異体同心とは、 けっして単なる仲良しを言うのではなくして、 講中の一人ひとりがそれぞれ性格、姿、形は異なれども、広宣流布の一点に焦点を合わせ、 心を同じくして戦っていくことであります。

(大白法・平成28年6月号より抜粋)

(平成28年8月掲載)