『大聖人様は『法華初心成仏抄』に、 「末法の世には、無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず、但強ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。其の故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、男・女・尼・法師がおしなべて用ひざりき。或は罵られ毀られ、或は打たれ追はれ、一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給ひしかども、少しもこりなくして強ひて法華経を説き給ひし故に今の釈迦仏となり給ひしなり」 (御書 一三一五頁) と仰せであります。 御文中の不軽菩薩については、皆様方には既に御存じのことと思いますが、不軽菩薩は一切衆生には皆、仏性があるとして、会う人ごとに対して二十四字の法華経を説いて礼拝しましたが、時に罵られ、あるいは迫害され、所を追われながらも、ただ一心に多くの人を教化・折伏されました。 されば、私ども一同、たとえいかなる悪口や謗法、中傷や謗法が競い起ころうとも、至心に題目を唱え、一人でも多くの人達のため、一意専心、全力を傾注して折伏を行じて行くことが今こそ、いかに大切であり、必要であるかを認識しなければなりません。また折伏こそ、大聖人様の御意にかなった最善の仏道修行であることを確知され、いよいよ講中一結・異体同心して大折伏戦を展開し、もって一点広布へ向けて、勇躍として前進されますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。 (令和7年5月掲載) |