日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(r2.5)


(立正安国論 御書二四六頁十八行目)

法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄(あびごく)に入らん」已上。 
 夫(それ)経文顕然(けんねん)なり。私の詞(ことば)何ぞ加へん。凡(およ)そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕(だ)して永く出づる期(ご)無けん。涅槃経の如くんば、設(たと)ひ五逆の供(く)を許すとも謗法の施(せ)を許さず。蟻子(ぎし)を殺す者は必ず三悪道(さんなくどう)に落つ。謗法を禁(いまし)むる者は定めて不退の位に登る。所謂(いわゆる)覚徳(かくとく)とは是(これ)迦葉仏(かしょうぶつ)なり。有徳(うとく)とは則ち釈迦文(しゃかもん)なり。法華・涅槃の経教(きょうぎょう)は一代五時の肝心なり。其の禁め実に重し、誰(たれ)か帰仰(きごう)せざらんや。


(通解)

法華経にいわく、
「もし人が、この法華経を信じないで破り謗るならば、それは即ち一切世間の仏種を断ずることとなる。
(乃至)その人は、命が終わって、阿鼻地獄に入るであろう」
以上。

経文は、このように明らかであるから、自分なりの言葉など、全く付け加える余地がない。
およそ、法華経の文の通りならば、真の大乗教典たる法華経を謗ずる者の罪は、五逆罪を数えきれぬほど犯すことよりも勝る重罪である。
故に、阿鼻大城に堕ちて、永く出ることは出来ないのである。
また、涅槃経の文の通りならば、たとえ五逆罪の者に供養することが許されても、謗法の者に施すことは断じて許されない。
たとえ蟻の子でも、殺す者は三悪道に落ちるが、謗法者を禁断した者は、必ず不退転の位に登る。
その証拠に、いわゆる覚徳比丘は後の迦葉仏となり、有徳王はすなわち今日の釈尊となったのである。
法華・涅槃の経教は、釈尊一代五時の教における肝心である。
故に、その禁戒の意味は真に重い。
誰が従わずにおられようか。