日蓮正宗 昭倫寺

立正安国論(h30.1)


(立正安国論 御書二三五頁十四行目)

 大集経に云はく「仏法実(じつ)に隠没(おんもつ)せば鬚髪爪(しゅほっそう)皆長く、諸法も亦忘失(もうしつ)せん。時 に当たって虚空(こくう)の中に大(おお)いなる声ありて地 を震ひ、一切皆遍(あまね)く動ぜんこと猶水上輪(すいじょう りん)の如くならん。城壁破れ落ち下り屋宇(おくう)悉く やぶれ(*1)(さ)け、樹林の根・枝・葉・華葉・菓・ 薬尽(つ)きん。唯浄居天(じょうごてん)を除きて欲界一切処 の七味・三精気(しょうけ)損減(そんげん)して、余り有るこ と無けん。解脱(げだつ)の諸の善論時(とき)に当たって一 切尽きん。生ずる所の華菓の味はひ希少(きしょう)にし て亦美(うま)からず。諸有(しょう)の井泉池(せいせんち)一切尽 く枯涸(こかつ)し、土地悉く鹹鹵(かんろ)し、敵裂(てきれつ) て丘澗(くけん)と成(な)らん。諸山皆(みな)しょう然(ねん)(* 2)して天竜も雨を降(くだ)さず。苗稼(みょうけ)(みな) (か)れ死(し)し、生ずる者皆死(か)れ尽(つ)くして余草 (よそう)更に生ぜず。土を雨(ふ)らし皆昏闇(こんあん)にし て日月も明(みょう)を現ぜず。四方皆亢旱(こうかん)し、数 (しばしば)(もろもろ)の悪端を現じ、十不善業道(ごうどう)・貪 瞋癡(とんじんち)倍増して、衆生の父母に於ける、之を観 ることしょう鹿(*3)の如くならん。衆生及び寿命色 (しきりき)威楽(いらく)(げん)じ、人天の楽を遠離(おんり) し、皆悉く悪道に堕せん。是くの如き不善業(ふぜんごう) の悪王・悪比丘、我が正法(しょうぼう)を毀壊(きえ)し、天 人の道(どう)を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍(ひみ ん)する者、此の濁悪(じょくあく)の国を棄てゝ皆悉く余方 に向かはん」已上。


(通解)

大集経に次のように説かれている。
「正しい仏法が隠没すれば人々はヒゲや髪や爪をだらしなく伸ばすようになるであろう。
また、諸の法も効力を失うであろう。
そのような時には、空中に大音響が轟いて大地が震動し、地上の一切の物が水車の回るように動転するだろう。
城壁が破れ落ちて、人家は悉く破れ崩れ、また樹木の根・枝・葉・花びら・菓などに含まれる薬味が無くなってしまう。
ただ色界のうち浄居天を除いて欲界等、一切の場所の七味三精気が残らず損減してしまい、その時には人を悟りに導く善論も一切失われてしまう。
地に生ずる実もごくわずかとなって、その味も不味く、あらゆる井戸や泉や池も悉く乾いて枯れて土地はすべて荒地となり、地割れがしてでこぼこになってしまう。
諸山は皆焼けて雨も降らず、穀物の苗は皆枯死し、生ずるものも皆枯れ尽きて、他の草も一切生じない。
大風が乾いた土を巻き上げて地に降らし、そのため空は暗闇となって日月の光も見えない。
四方は皆ひどい旱魃となり、諸々の悪い瑞相が現れ、十不善業、なかでも貪・瞋・癡が倍増して、人々は父母に対してもしょう鹿(*3)のような恩知らずの行いをするようになる。
そして、衆生も寿命も減じ、体力も威光も楽しみもそこなわれて、人界・天界の楽しみを遠く離れ、皆悉く悪道に堕ちてしまう。
このような不善業の悪王と悪僧が、我が正法を破って、天界・人界の道を損減し、諸天善神の衆生を哀れむべき善王も、この濁悪の国を捨てて、皆悉く他方へ向かうであろう」以上。





七味=甘い・辛い・酢い・苦い・鹹い・渋い・淡いの七種の味
三精気=地精気・法精気・衆生精気をいい、地精気とは大地の生命力で穀物や草木が育つ力のこと、法精気とは世間法・国法・仏法の持っている力のこと、衆生精気とは人間の生命力のこと

しょう鹿=鹿の一種で我が身に危険が迫ったとき、父母や仲間のことは少しも顧みないで逃げ去るといわれ、ここでは親のことを少しも顧みない不孝者の譬えに使われている。