日蓮正宗 昭倫寺

国立戒壇御指南1



(国立戒壇について 御隠尊日顕上人猊下様の御指南)(その1)
第五十三回 全国教師講習会の砌 平成16年8月26御法主日顕上人猊下御講義
平成十六年八月二十六日 於 総本山大講堂


本年度の私の講義内容については、昨年に引き続いて『百六箇対見之記』に関してお話ししようと考えていたのであります。
けれども、ここにおいでになる皆さんのなかには最近、若い人も非常に増えてきておりますし、宗門の終戦以来の流れとか歴史というようなことに、直接的には当たっていない人も多いと思いますので、けじめをつけるという意味からも、今年は『百六箇対見之記』の講習をやめまして、大聖人様の御法門のなかの特に「戒壇」ということについてお話ししたいと思います。
(中略)

まず、大聖人様の一期の御化導における肝要は三大秘法でありますが、このうちで宗旨建立以来、自らもお唱えあそばされ、衆生をも導かれたのが本門の題目であります。
さらに、本門の題目の上からの法華経を身に当ててお振る舞いあそばすところの在り方から、それが佐渡における本尊の開顕となるのであります。
そして最後に戒壇という御指南があるのですが、そもそも大聖人様が三大秘法の名目を明らかにお示しになったのは、佐渡からお帰りになって身延に入られ、直ちに御著作になった『法華取要抄』であり、そこにおいて初めて、
「本門の本尊と戒壇と題目」(御書七三六n)
という名目を顕されたのであります。
もっとも、その前に『法華行者値難事』の追申において、ややそれに近い、三大秘法の内容と思われる御指南がありますが、これはあくまで追申でありますから、正規の著述という上からは、まだ本門の三大秘法の名目をはっきり示されていないのです。

つまり『開目抄』にも『観心本尊抄』にも示されていないのであり、これをはっきり顕されるのが『法華取要抄』であります。
もちろん、三大秘法のなかの特に本尊の人本尊、法本尊の意義については、既に佐渡の国で開観両抄ほか、様々な重大御書のなかにお示しになっておるのですが、ただ三大秘法中の戒壇ということに関しては具体的には何もないのです。

しかし、また一期の御化導から拝しますと、大聖人様が二十一歳の時に、一番最初に著作されたのが『戒体即身成仏義』であり、戒についてお示しになっているのであります。
これには実に不思議な意味を感ずるのです。
そのすぐあとに『戒法門』の御法門もありますが、これはもう少し一般的な意味を持っておるのであり、そのあとはほとんどが、戒定慧のうちの定慧の法門が芯になって、ずっとお示しになっておると思われます。

しかるに戒壇については、今言いました『法華取要抄』以降において、本門の本尊・戒壇・題目という三大秘法の名目を挙げられた御指南があります。
ところが『法華取要抄』にも、さらには三大秘法のうちの本尊と題目の内容をはっきり述べられた『報恩抄』においても、ただ、
「本門の戒壇」(同一〇三六n)
とお示しになっているだけで、戒壇の内容については全くお示しになっておられません。

弘安に入って『本門戒体抄』という御書があるけれども、これは受戒のほうからの本門の意義を戒体として述べられておるわけですから、直ちに戒壇ということの御指南ではなく、それとはまた少し違うのです。
もちろん戒壇で戒を受けるわけだから、当然、関係はあるけれども、特に戒壇そのものの法門という意味ではないのです。

また、『教行証御書』は建治三年にお示しの御書ですが、これは良観が特に戒ということを言っておるので、その良観を破折し、対応する意味から、大聖人様の御化導中の戒ということをおっしゃっております。
特に、有名な「金剛宝器戒」の御文を示されて、本門の妙法蓮華経の戒が最高の戒であるということが述べられておるのであります。しかしこれは受持即持戒ということからして、定慧の二法が広まれば、受持即持戒が本門の法体の上に、その功徳が明らかに成ぜられるのです。
したがって、その意味からは、戒法を受持する場所がそのまま戒壇であると拝せられるのであります。

ところが、大聖人様は個人個人の成仏ということだけでなく、法界一切衆生の成仏という上から、当時の在り方として、南都六宗の時には聖武天皇と鑑真和尚、それから桓武天皇と伝教大師というような意味をさらに進めたところの、本門における国主と僧侶との上からの教導においての戒壇の在り方を示されておるのであります。

そこで戒壇ということが、ほかの本尊や題目と違う意味は、特に大聖人様の御法門においては「事相」ということが存するのであります。文永十年七月六日の『富木殿御返事』のなかに、元は漢文でありますが、
「伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす。但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕はせり。事相たる故に一重の大難之有るか」(同六七九n)
という御文があります。これは伝教大師のことを示されておる御文ですが、この前の文とあとの文は、ともに大聖人様御自身の御弘通の上からの妙法蓮華経の御法門をお示しになっており、この御文はそれらに挟まれているのです。
なぜ、ここで唐突に伝教大師に関する文が出てくるのかということは、この文を拝してみると、その意義を拝する拝し方に、ある深さを感ずるのです。

すなわち、この御文は漢文のため、「伝教大師」と「御本意」の送りがなについては、今までに色々な付け方がありました。古いところで『高祖遺文録』は「伝教大師御本意円宗ヲ…」とあって、「師」と「意」の下の送りがなはありません。
日蓮宗の『昭和定本』と宗門の『昭和新定』は「伝教大師御本意ノ…」となっており、「師」の下の送りがなは付けていないのです。
『縮冊遺文』は「伝教大師ノ御本意ノ…」と両所が「ノ」になっており、また創価学会から出した堀日亨上人の『御書全集』も、初めは「伝教大師の御本意の」となっておりましたが、のちに「伝教大師は」と改めております。
つまり前後の文との関連から「伝教大師の御本意の円宗を…」と読むと、「大聖人様が、伝教大師の御本意であったところの円宗を日本に弘めんとされた」という意味で、大聖人様のお立場にも通ずる意味をおっしゃっておるようにも取れるわけです。
ところが「伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす」ということになると、これは、前後は大聖人様御自身の弘通のことをおっしゃっておるけれども、この部分だけはあくまで伝教大師のことを特別に挙げられていることになります。
(続く)

(大日蓮 平成16年11月号)