| 設ひ日月の光ありとも、盲目のために用ゆる事なし。 設ひ声ありとも、耳しひのためになにの用かあるべき。 日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし。 此の一切の眼と耳とをくじりて、一切の眼をあけ、一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき。 誰の人か此の功徳をば計るべき。 設ひ父母子をうみて眼・耳ありとも、物を教ふる師なくば畜生の眼・耳にてこそあらましか。 (通解) たとえ日月の光があっても盲目の為には必要としない。 たとえ声があっても耳しい(耳の聞こえない)の為には何の役に立つか。 日本国の一切衆生は盲目と耳しいの如くである。 これらの人々の一切の眼と耳とをえぐって一切の眼を開かせて物を見せ、一切の耳を聞かせて物を聞かせたならば、どれ程の功徳があろうか。誰人もこの功徳を計り知ることができない。 たとえ父母が子を産み、子に眼や耳があっても、その子に物を教える師がいなければ畜生の眼や耳と同じであると言うべきか。 |