日蓮正宗 昭倫寺

大御本尊の否定


平成26年、創価学会は弘安2年10月12日の大御本尊を否定しました。
ご存じない学会員の方も多いでしょうけど、原田会長が聖教新聞ではっきりそう表明したのです。
信心の根本である大御本尊を否定されて、学会員の方は平気なのでしょうか?。
今までの学会の信心を完全に否定する愚挙ですが、少し長くなりますがこれまでの創価学会の会則の改変、これまでの学会と宗門との関係を簡単におさらいしながら考えて見ましょう。

【創価学会の会則の変遷】

まず創価学会の会則ですが、昭和54年時点ではこうなっていました。
「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
昭和54年は、学会の増上慢によって宗門との問題が発生している状態でしたが、それでも大御本尊は信心の根本だったわけです。

ところが、平成14年に次のように改変しました。
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」

まず、「日蓮正宗の教義に基づき」の部分を削除しました。
すでに学会は破門となり学会員も日蓮正宗壇信徒資格を剥奪されていますので、日蓮正宗という名前を削らないと都合が悪かったのでしょう。
なにより大きいのが「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」の一文を削ったことです。

そして平成26年の改定ではこのように改変しました。
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本尊と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」

この文言ではわかりにくいのですが、ついに教義の根幹である御本尊に関する定義を変更したのです。(後述)


【学会と宗門の関係】

次に学会と宗門との関係を振り返ってみましょう。
学会は昭和52年ごろから教義の逸脱が表面化し、昭和53年には「教学上の基本問題について」でこれまでの教義逸脱の是正を発表し、模刻した本尊7体を総本山に納め、創立48周年記念登山代表幹部会において池田大作が「52年逸脱路線」について謝罪(通称「お詫び登山」)をして、翌年の昭和54年4月には池田大作が責任を取り会長を辞任しています。
(本尊模刻、つまり学会が勝手に本尊を作ったというのも信じられない謗法ですが、今回は大御本尊否定についての解説ですので詳細は記載しません。ぜひ日蓮正宗法華講各支部のホームページなどをご覧ください。)

これらの学会の反省態度を受けて、日達上人が昭和54年5月に「それまでの過ちを正直に反省したことを大前提」として52年逸脱路線問題を収束されました。
これにより昭和59年には池田大作が法華講総講頭に再任され、一見学会は心を入れ替えたように見えました。
しかし平成2年には猊下、宗門、僧侶の蔑視・軽視発言があり、52年逸脱路線の無反省を露呈したのです。
それに対して宗門がお訪ね文書を学会に提出したのですが受け取りを拒絶、逆に『お伺い』なる9項目にわたる事実無根・捏造の宗門批判文書を宗門に送りつけ、宗門との対立色を前面に出したのです。

翌年(平成3年)から聖教新聞紙上で宗門批判キャンペーンを開始し、さらに学会葬を始めるなどをしたため、宗門は『通告文』を発送して学会葬などの化儀破壊行為を改めるよう通告し、11月7日には『解散勧告』を送るなどしました。
しかし学会は改める態度は一切見せなかったことから同年11月28日に創価学会及びSGIを『破門』しました。
この時点では創価学会という組織は破門されていましたが、学会員個人はまだ日蓮正宗檀信徒の資格を有していました。
しかしその後も日顕宗などと口汚く宗門を攻撃し続ける創価学会に所属し続ける学会員が日蓮正宗の壇信徒で居続けることは極めて不自然です。
日蓮正宗は宗規を改定し、平成9年12月1日に創価学会員は個人の日蓮正宗檀信徒資格を喪失しました。
信徒ではないので参詣する資格はなくなり、お塔婆供養も御供養もできなくなったのです。

このような流れから見て平成14年の創価学会会則変更は学会員に大御本尊への信仰心や渇仰心を持たさないように仕向けるためのものとしか言えません。


【大御本尊の否定】

さて、平成26年改変の会則だけでは大御本尊を否定しているかどうかはわかりません。
(このあたりが学会の狡猾なところです。)
しかし平成26年11月8日付の聖教新聞には、原田会長による教義条項の変更についての解説が掲載されています。
「したがって、会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います。」
ついに弘安2年10月12日の大御本尊を「授時の対象にはしない」と断言したのです。

しかし、宗教団体として非常に大きな改変であるにもかかわらず、創価学会の公式サイトで検索しても、このような見解は見つかりません。(平成27年12月24日調査)

たとえば「弘安2年」で検索しても、日蓮大聖人略年譜、熱原の法難と出世の本懐、池上兄弟、阿仏房と千日尼しか表示されず、弘安2年の御本尊を受持しない云々という記載は見つかりません。
(ちなみに熱原の法難と出世の本懐には「いわゆる“弘安2年の御本尊」という表現があり、意識的に大御本尊から距離を置く表現になっています。)
また「大御本尊」で検索しても観心本尊抄しか見つからず、原田会長の教義条項の変更についての解説は見つからないのです。
もし創価学会が大御本尊否定を心の底から正しいと思っているなら、このような情報操作をするはずがありません。
聖教新聞に載せただけで済ませるのは、学会員の動揺(特に古参会員)を恐れているからです。

前述の通り昭和50年代前半は学会の増上慢が露呈した時代でしたが、当時学会員だった方はご存知だと思いますが学会員に対して本尊模刻という大謗法を犯したことをきちんと説明することはありませんでした。
「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南をうけ、奉安殿にご奉納申し上げた」と聖教新聞で報じて終わりです。
また、池田大作の会長辞任についても学会員にきちんとした説明はありませんでした。
当時、池田辞任に驚いた学会員が地域の学会幹部に聞いたところ、「先生(池田のこと)には深い考えがあるのですから、動揺せずにいましょう。」と話すだけで、その後も説明はありませんでした。
このように、昭和時代から創価学会は「都合の悪いことはこっそり聖教新聞で(しかもわかりにくい表現で)発表して終わり」という隠蔽体質なのです。



(平成26年11月8日付 聖教新聞)


【会則改変説明の稚拙さ】

平成26年11月8日の聖教新聞をよく読みなおすと稚拙なごまかしだらけであることに気がつきます。
たとえば
「この会則は平成14年(2002年)に改正されたものです。
当時、宗門との僧俗和合時代に信仰実戦に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経緯を踏まえ、この「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」については、「弘安2年(1279年)の大御本尊」を指すとの説明を行っていました。」
とあります。
つまり学会は「会員の感情を踏まえて、大御本尊は弘安2年を指すと説明した(主意)」と主張しますが、本尊は会員の感情で決めるものではありません。
もし会員が十字架を拝みたいと熱望したら、十字架を本尊にするのでしょうか?。
その考えは謗法だと指導するのが正しい宗教ではないでしょうか。
本尊は人気投票で決めるものではありません。
このように本尊に迷うのは邪宗の証拠です。

また、大御本尊と各家庭等のご本尊について、こう言っています。
「 ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも“電源と端子”の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で進展している現在と将来において、かえって世界広布を阻害するものとなりかねないのであります。」

かつての学会は、大御本尊根本という考え方だったのはご存知の通りです。
その証拠に昔の学会は盛んに登山をしていました。
当然ですが、弘安2年10月12日の大御本尊の御開扉を受けるために登山していたのです。
それが、「世界広宣流布の阻害になるから本尊観を変える」とは驚きです。

広宣流布とは正法を広めることであり、歪めた教えを広めることは害毒でしかありません。
コロコロ変えるような本尊観しか持てないのもまた、謗法の証拠です。

かつての学会は、御本尊はきちんと仏壇に安置していましたし掃除などの際には御不敬にならないようお樒の葉をくわえるなど、日蓮正宗の化儀に従っていました。
それが今ではペンダント本尊などという神社で売っているお守り並みの雑な扱いをされるような代物を売るようになっています。

このような考え方をする組織ですから、
「創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。」
などと、自分たちが勝手に認定することにも躊躇はないのでしょう。

かつて学会は「日蓮正宗における根本は唯授一人の血脈である。」と血脈相承の重要性を認識していたはずなのに、血脈相承は途切れたと嘘を言い出し、自分たちは大聖人直結と言いはじめて血脈相承を否定しています。
しかし、いまだに会員に販売するニセ本尊は血脈相承の日寛上人のコピーを使っています。
まさにご都合主義、学会にとって本尊は何でもいいとしか考えられません。
ひょっとしたら日寛上人の御本尊のコピーを使うのは古参会員がお寺から御下付いただいたご本尊との見た目の整合性を気にしているだけなのかもしれません。

学会が恐れているのは会員離れであって、それを避けるためには本尊でもなんでも変えるのでしょう。
大御本尊を否定することで古参会員が脱会することがないよう、大御本尊否定については公式サイトには載せないで積極的には説明しない。
そんないい加減な本尊観を持つ宗教が、正しいと言えるはずがありません。

紙面の関係上、書ききれない部分がたくさんあります。
学会員の皆さん、少しでも学会に疑問を持ったら勇気を持って連絡をください。
今までの信仰を否定することは自分の人生の一部を否定することですのでなかなか勇気が出ないかもしれません。
しかし、間違った教えを信じ続けて幸せになれるはずがありません。

昭倫寺には元学会員の講員もたくさんいます。
勇気を出してメールをください。
お待ちしています。